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2019年8月1日木曜日

2019年6月に観たもの(2)

Joinライブ

開催頻度がゆっくりながら息の長い固定メンバーのお笑いライブ。
なぜか解散コンビが多く、前回からの間にピーマンズスタンダードが…。
最初はまだムートンもコンビだったような気がするよ?
ネタを1組ずつ終えると企画コーナーで、今回はわらふぢなるおの
なるおさんの娘さんが描いたイラストが何かを当てるという超ほのぼのパパ企画。
みんな全く当てる気はなく、とにかくなるおさんにツッこんで欲しくてボケ倒す。
なるおさんはもう疲れちゃってツッコミが全部「ばーか!ばーか!」になっていた。
最後は主催者の方から、次回ライブ開催地の都道府県をくじびきで決める
という重大発表がある。
代表としてみなみかわさんが引き、決まった開催地は「大阪」。
とりあえずみなみかわさんの御親戚は観に来ることになるらしい。

◆ショーン・タンの世界展 どこでもないどこかへ
 
オーストラリアの絵本作家ショーン・タンの特別展。
今まで全く知らなかった作家だけれど、予告のイラストに惹かれて観に行く。
代表作「アライバル」が噂通りの素晴らしさだった。
128ページにおよぶ絵本には台詞がひとつもない。何らかの事情で
故郷を離れ、家族と共に移民となった男の姿が鉛筆画で描かれる。
写真のように写実的(実際、写真を参考に描いたものが多いようだ)なのに、
不思議な生き物や近未来SFのような建物などが混ざり合う。
現実のようで現実ではない世界、しかし移民として生きる人々の心のうちは
きっと現実と同じものとして表現されている。
他には小型の短編絵本「エリック」もいい。
主人公のエリックがあまりにキュートなので売店で缶バッチを買っちゃった。
京都アニメーションの哀しい事件後、ショーン・タンがinstagramに黙祷を
捧げるキャラクター達のイラストを上げてくれた。
こんな形で彼らに再会することになるなんて。寂しい。

◆図書館ライブ

宮崎貴士・田中亜矢・近藤研二・イトケンによるバンド「図書館」。
丁寧に紡がれた背筋が伸びるように美しいメロディーと、そのメロディーに
ぴたりと寄り添う歌詞が魅力で、結成当時からの大ファン。
とてもゆっくりな活動ペースなので、こちらものんびりと追いかけている。
今回は5年ぶりのライブが鎌倉molnで開催されるとのことで、小旅行の
ような気持ちで聴きに行く。
初めて伺ったmolnは下北沢leteに近い感じ。
ソロライブは珍しいのでアルバム2枚の全曲を演奏してくれるという
大盤振る舞いだった。
暑い夏には2ndアルバム「図書館の水源郷」がよく似合う。

◆草月ホールのカーネーション

東京に咲く鋼鉄の花・カーネーションの2daysライブ。
初日がストリングスDAYで2日目がホーンズDAYですと。
両日行きたかったけれどそうもいかずに、悩みに悩んで2日目に行くことにした。
直枝さんのボーカル絶好調だなあ。今年で60歳ですって。信じられない。
ロベルト小山さんもノリノリ。
「天国と地獄」あたりの曲を演奏されるとそりゃあもう大騒ぎだ。
岡村ちゃんのアドバイスによりブレイクを入れた「学校で何おそわって
んの?」や「地球はまわる」が楽しかった。
The End of Summer」を聴いてこれからやってくる夏を受け止めよう。

2018年10月22日月曜日

チャリティ原画展『少女漫画家の描く猫たち』

浅草のGallery efで開催されているチャリティ原画展「少女漫画家の描く猫たち」を見に行ってきた。

参加の展覧会は波津彬子先生、篠原烏童先生、TONO先生の三人展。
何を隠そうネムキっ子の私である。
この御三方の原画なんて、もう宝石じゃないか!

波津作品は「猫は秘密の場所にいる」、篠原作品はクォート&ハーフシリーズ、
TONOさんのものはイラストが多かったかな。
どれも繊細な色遣いにため息が出る。
波津さんの描く人物の輪郭はたおやかで美しい。
篠原さんの淡いインクのグラデーション。
ひたすらポップでキュートなのはTONOさんのおキャット様たち。
しましまえぶりでぃは私の愛読書で、いつかゴロンタみたいな猫に出会いたいなと
思っているのだ。

ギャラリーエフはカフェの奥に重要指定文化財の蔵があり、そちらが
展示会場となっている。
ミシミシと音がする階段や床は少々怖い・・・。
でも、雰囲気のある素敵な場所だ。

チャリティーグッズ販売もあり、豆皿や缶バッチ、お煎餅も用意されている!
私は波津先生のミニイラスト集「The cat did it」を購入した。
カラー刷りで超美麗な永久保存版。

Gallery ef
http://www.gallery-ef.com/

猫馬鹿作家之会/お知らせブログ
https://ameblo.jp/nekobakasakkanokai/



2018年2月8日木曜日

新国立劇場ポスター展「イメージの記憶」

今年は新国立劇場開館20周年。
その記念として、2階3階のギャラリーで歴代のポスター展が開催されている。

 以前ブログに書いたかもしれないが、私は開館当初の新国立劇場
ポスター(チラシ)が大好きだった。
とりわけバレエ・オペラが素晴らしく、くるみ割り人形ならば人形を胸に抱き
夢見るような表情のクララのイラスト。
キトリの優雅なセンスに薔薇をあしらったドンキホーテ。
桜の舞い散る中、大きく羽を広げた蝶をモチーフにした蝶々夫人。
しかし当時通っていた小劇場の折込みには、新国立劇場のチラシ
(特にバレエ、オペラ)は入らないので、わざわざ劇場までチラシを貰いに
行っていた。

それくらい好きだったあのポスターに会える!と、芸術監督トークショーが
終わったその足でギャラリーへ。
ああ、今見ても美しい。ウットリと眺めながら、その美しさの理由を確信した。
イラストだからだ。写真を使っていないからだ。

コンサート、オペラ、バレエを見に行くと、入口で分厚い他公演のチラシ束を
渡される。
そのチラシのほとんどは、大きく書かれた公演名と写真が印刷されている。
クラシックコンサートならばホールで演奏する楽団の全体写真に、指揮者の
姿がドーン!
オペラやバレエならば、ソリストの舞台写真がバーン!
失礼を承知で書くならば、宣伝美術としての美しさは欠片もない。

しかし、何故そうなってしまうかもわかる。
前述のトークショーでも出ていた、集客問題があるからだろう。
コンサート、オペラ、バレエは演劇以上に「ソリスト(あるいは指揮者)が誰なのか」
が重要であり、観客もそこを目当てでどの公演に行くか選ぶ場合が多い。
となると、いかにその情報を目立たせるかという点が最重要で、結果として
定型文のような凡庸なチラシになってしまう。

国立の劇場ならば、他公演のように集客に重くとらわれずに企画をたてる
ことができる。作品で人を呼ぼう。
高い志を持った誰かが開館当初はいて、この美しいポスターを制作したのかも
しれない。

そんな想像をしながら、たっぷりと時間をかけてポスター達を眺めた。

http://www.nntt.jac.go.jp/centre/news/detail/180112_011688.html

2013年10月29日火曜日

ワタリウム美術館「寺山修司展 ノック」

展示期間がそろそろ終了するので2度目の寺山修司展に行ってきました。
一度チケットを購入すると期間中何度でも入館できるのは嬉しいです。
初回は彼の年表や作品に圧倒されて、意味無く落ち込んでしまったので。
天才の早熟・貪欲・情熱の波に溺れそうになる。
2度目の鑑賞は、自己批判?何それ美味しいの?となるべく頭が
からっぽな状態でただただ彼の生み出した言葉を味わう。
 
二十歳前後の寺山修司と山田太一の往復書簡がいい。
寺山が長期入院している間、ほぼ毎日葉書を送っていた山田。
2人の文面が若くて瑞々しくて、そしてちょっぴり気取っている。
後の大人物だけれど、若い文学青年が背伸びをして書いていたのだと
思うとなんだか愛らしく思える。
 
毎日送っていたのだから、今のメールのような感覚だったのでしょう。
でも今の二十歳は、こんな素敵なメールを男友達に送らないだろうなあ。
 
<1956/6/8 山の風景が描かれた葉書>
中学の頃、この大観山のあたりで濃い霧が流れはじめて、
友人と二人で泣きそうになって、湯河原まで歩いたことがあった。
よかれ悪しかれ、僕はこういった風土に影響されて少年期をすごした。
 
俗悪な商魂が行きわたった病みかかりのこんな風景も、僕には反揆と共に
愛着を抱かせる。旅行したいなあ。
昨夜は結局、新宿へは出なかった。部屋で、じっとしていたよ。
寒気がして、熱がある。
この葉書は床へ入って書いた。
 
山田太一
 
先週末で終わるはずだった寺山修司展は、好評につき11/24まで延長に
なったそうです。毎週土日には寺山作品のリーディングもあり。
「さらば映画よ」のリーディングは、吹き抜けのフロアに役者さんの声が
響き渡り迫力がありました。
もう一度くらい行こうかな。
 

2013年8月8日木曜日

ICC「オープン・スペース2013」

新国立劇場へ「OPUS」のチケットを取りにいくついでに、
オペラシティ内のICCを覗いてみた。
ICCはNTTの持つギャラリーとでも言えばいいだろうか?
 
現在はメディアアート関連の「オープン・スペース2013」が開催中。
この展示会で印象的な作品に出会った。
 
八谷和彦「見ることは信じること」
 
“展示室の中に設置された電光掲示板は,赤外線LEDで大部分が
構成されているため文字には見えず,一部の可視光LEDの明滅だけが
肉眼で見られるようになっています・
 
ただし専用のヴューワー「ヒツジ」を通して見ると,発表当時開催されていた
《メガ日記》というプロジェクトで集められたテキストを読むことができます。
 
1995年に始まった《メガ日記》は,パソコン通信やインターネットを通じて,
さまざまな人たちに日記を書いてもらう試みでした.
作者は,プロジェクト開始のきっかけとして,世界中の人が書いた日記を収めた
図書館が夢に出てきたことを挙げています.
ブログやTwitterをはじめとするウェブ・サーヴィスが浸透した現在では,
作者の夢に出てきた図書館は,ある意味で実現したといえます.
 
もちろん,知ろうとする意志がないかぎり,他人の生活が私たちの目に
触れることはありません.
たとえ見たとしても,その人のことを完全に理解することはできないでしょう.
「ヒツジ」を覗き,誰かがいつかどこかで書いた日記を読んでいると,断片的な
情報から他者の存在を想像し,知ろうとする努力によって,コミュニケーションが
まがりなりにも成立しているのだということが感じられるのではないでしょうか.”
 
<ICC ONLINEより抜粋>
 
この「ヒツジ」、見た目はまるで夏休みの工作のように単純な形の箱なのだ。
その無骨な箱を通して掲示板を覗くと現れる、1995年に書かれた誰かの日記。
しかも、このプロジェクトの最後の日に書かれた文章を集めたものだという。
 
1995年といえばまだ生活にネットが浸透せず、詳しい一部の人たちだけが
「世界の人たちとこんな風に繋がっているなんて、なんだか夢のようだ」と感じながら
キーボードを叩いていた頃だろう・・・ほんの20年前のことなんだよね。
 
調べてみるとこの「ヒツジ」、星の王子さまで飛行士が
「君のヒツジ、この箱の中にいるよ」
と渡した箱がモチーフになっているとわかった。
ああ、それで作品のタイトルが「見ることは信じること」なのかな。
大事なことは目に見えない、と王子は言っていたけれど。
電光掲示板に流れる文字はそのままでは「目に見えないもの大事なもの」
その大事なものを「ヒツジ」を通して見る。
 
なんだか他人の昔の夢に取りこまれたような、不思議な感覚を味わえた
作品だった。
 

他にも面白かった作品が色々↓
 
ノヴァ・ジャン 「イデオジェネティックマシン」
 
キーボードのEnterキーを押すと前方のスクリーンに、モノクロで
淡い線のコマ割りされた漫画が現れる。
しばらくそれを眺めているとスクリーンに「3,2,1」とカウントが
始まり、0でちょうど自分の目の前に設置されているカメラで
私の顔を撮影。
 
撮影された私の表情がスクリーンのコマの中に取り込まれる。
つまり、私が漫画の一部になる。
写真がそのまま使われるのではなく、淡い線でなぞり描いたような
絵になり、漫画の中に使われても違和感がない。
 
希望者はこの映像をメールで送ってもらえると書いてあったので
嬉んでEメールアドレスを登録してきたのに、なぜかまだ届かないんだ。。。
 
 
 
鈴木康広 「自針と分身」「まばたき証明写真」
 
これは簡単。
指定された床の位置に立つと、時計の針が自分の全身写真になる。
私が時計の中をぐるぐる回る。
 
まばたき証明写真は街角にあるインスタント写真撮影と同じようなブース。
料金を支払って(有料)撮影するのだけれど、まばたきをした瞬間
シャッターを切る設定になっているのだ!
絶対に目をつぶった写真が撮れるという逆の発想?