2015年8月22日土曜日

シティボーイズファイナルpart1「燃えるゴミ」

そのタイトルにファンの間で激震が走った。
とうとうXデーがやって来たのだ。
いつか来ることはわかっていたし、彼らの年齢を考えればそれは遠いことではないだろうことも理解していたのに、実際に文字になって知らされるとショックが大きい。

ファイナル・・・ファイナルpart1・・・ん?パート1?

part1ということは、ファイナルpart2もあるかもしれないってこと?
思わずグルグルと考える。
その後、この舞台に関する三人のトークや演出家を交えた座談会などの内容を読むと
「ファイナルにすると最後という事実ばかりが大きく取り上げられて、その話題が舞台の内容を上回ってしまう。だからpart1をつけてお茶を濁すのだ」
ということらしい。

しかも、それを話しているのは、シティボーイズライブの要であるきたろうさんなのだ。
他の記事でも斉木さんや大竹さんはどっちつかずの様子だったけれど、きたろうさんの言葉には「これで最後」という思いを感じた。
だから、未来の事はわからないけれど、今年の舞台はやはり最後のライブなのだろう。

舞台はゴミ捨て場の監視をしている老人3人。
この老人たちのとりとめのない会話を中心にストーリーが進む。
それぞれの独立したコントが何本も続くスタイルが多いシティボーイズライブの中では、なかなか珍しい構成だ。
老人たちの会話パートの間に、かなり色の違うコントが数本差し込まれる。

・城に潜入しようとする忍者(きたろう、大竹)と阻止する殿(斉木)。
結局斉木しげる歌謡ショー。
・警備員(きたろう)と絵の中から抜け出たモナリザ(斉木)の恋。
でも結局、暴走したモナリザ斉木の怪獣ショー

 書き出してわかったけれど、どちらも斉木さんのためのコントじゃないか(笑)
しげる超楽しそうだったよ。
大竹さんがラジオで「斉木がモナリザばかり稽古したがるから困る」と、ぼやいていた気持ちもよくわかる。
他のコントは、本筋の老人たちの話と繋がる過去シーン。
カチューシャつけてエプロン姿のきたろうさんは妙に可愛らしいく、絶対狙ってやっているのだからずるい。
そしておむつ姿でハイハイする巨体の斉木さんには、言葉にできない狂気を感じる。

大田(大竹)と木田(きたろう)は長年の知り合いだが、斉田(斉木)が二人と知り合ったのは数年前。
老人と言える年齢の3人が、子供のように繰り広げる小さな喧嘩がなんともおかしい。
舞台終盤の泥団子にまつわる喧嘩がクライマックスだ。
自分が長年かけて磨いてきた泥団子は、何よりも固いと自慢する木田。
木田に小さな裏切りをされた大田は、じゃあその泥団子にボーリングの球を落としてみようじゃないかとけしかける。
そんな事をしても誰も幸せにならないから、と止めようとする斉田。
歳を重ねた男達には意地もある、出した言葉を引っ込めることもできず、かくして泥団子は舞台上でグシャリと潰れることとなる。

ショックを受けて立ち去る木田。
「だって、あいつがやってみろって言うから」と、泣きそうな声で言い訳をする大田。
「あんな泥団子がボーリングの球より固いわけがないだろ!」と一喝する斉田。

パンフレットの対談を読むとわかる通り、この3人の登場人物はシティボーイズ3人本人の性格を色濃く反映している。
演出・脚本の前田司郎さんは、打合せで喋っている3人をじっと観察してこの脚本を仕上げてきたのだという。
(雑誌「悲劇喜劇」の鼎談によると、自分自身を舞台上で演じるには自分を再構築する必要があり、御三方はずいぶんと悩みながら演じていたようだ。)

私もストーリーの中の3人にシティボーイズを大いに重ねながら見ていたので、泥団子のシーンは胸が詰まって思わず涙しそうになってしまった。
そして仲直りの抱擁シーンでは、思わず心の中で「前田さんありがとう!」と絶叫(笑)
だって、脚本に書かれていなければ、こんな姿を見る機会なんてないからね。
見ている観客より本人達がずっと恥ずかしかったはずだけれど、こんな熱い姿もいいじゃないか。
最後なのだし、ね。

ラバーガールが大竹さん不在のゴールデンラジオで、シティボーイズライブすっごく面白かった!という話をしていた。
自分たちのような若い世代の芸人から観ても、とても新しく事をしている。
今の歳でそれに挑戦しているのがすごく格好いい、と。

あのように普通の会話のやりとりが面白いというシーンが長く続くコントは、実は演じるのが結構難しいらしい。
まず、台詞が覚えにくい。
話に展開があればそこをきっかけに台詞を記憶することができるけれど、同じようなテンションが続くと厳しい。
そして感情も作りにくい。
起伏の少ない場面で笑いを生むのは難しいのに、3人は面白い。

「かなわないなぁと思っちゃった」と飛永さん。
昔から憧れているけれど、ある時期からどこかで憧れていては勝てない、追いつかなきゃいけないと思うようにしていた。
「でも今年のライブを見たら、あっまだ追いつけないな・・という感じになっちゃいました」
大水さんは単純にあの3人が揃って立っている姿が格好いい、ちょっと狡いくらいだなぁと。
3人バラバラなタイプの違うかっこよさ。
「だから、ああなりたいな〜と思いながらずーっと観ていました」

そんな芸人から見た裏話を楽しく聞きつつ、どこか心が沈んだまま。
ファイナルにpart1とつける作戦は功を奏して、公演はあまり大騒ぎされることもなくフンワリと終わりを迎えた。
どうせまだ続くだろうと考え、チケットを取らなかった人も多いかもしれない。
だから、心から終わって欲しくないとは思いつつ、もしきちんと「ファイナル公演」と掲げていれば、もっとシティボーイズの功績に注目が集まったのではないだろうかと考えてしまう。
最後という言葉をブースターにして、今まで沢山のクリエイターに影響を与えてきたシティボーイズに相応しい評価、目に見える評価が出てくるのではないかと、そんな期待をしていたから。

でもまあ、そんな重い気持ちもWOWOWのシティボーイズ一挙放送のニュースを聞いて吹き飛んだけどね!
やってくれたねWOWOW!ありがとうWOWOW

初めて観たのがWOWOWの特集なので、私にとってのシティボーイズライブは「鍵のないトイレ」から。
「鍵のないトイレ」は今から23年前の1992年、シティボーイズは当時すでに42,43歳なのだ。
4243歳というと、今のラーメンズと同じくらいで東京03よりは上(2015年現在)。
自分にとっても「えっ、私まだあの頃のシティボーイズに年齢追いついていなかったのか!」とビックリしてしまう。

40代~50代にかけて布団祭りで布団を振り回し、長い廊下を走り、日比谷野音でライブを行い、人気も評価も上がっていった。

これはなかなか夢のある話ではなかろうか。